ナマステ!インディア

第1日目 インドへ


1ドル≒110円 1ドル≒45ルピー(Rs) ⇒1ルピー≒2.5円くらいです

出国前
期待と不安が交錯する中成田に自分はついた。2回目の飛行機。初の海外。何をすべきかがわからん。日本語が通じることに感謝。自分の荷物は少ない。小さいディバッグ1個。誰もインドに行くとは気づくまい。国内一泊の人でももっと荷物は多いかもしれない。そしてまた10日後にここ日本に戻ってこれることを本気で祈った。

機内
飛行機はタイのバンコクを経由してインドへ。バンコクまで機内は日本だった。自分は隣の老夫婦と談笑。ただ、機内食を選ぶ時(ベジタリアン用、ノンベジタリアン用)おじいさんが「ノンベジタブルプリーズ!」を連発してサリーをまとったインド人スチュワーデスさんを困らせていたのを俺は見逃さなかった。そりゃ両方野菜は入ってます。


エアーインディアの機内食。
ノンベジタリアン用。
(野菜入り)
左上のクッキーを水に溶かしたようなやつは口に合わなかった。


そしてバンコク。ほぼ乗っている人は降り(推定95%)、乗ってくる異国の人々。自分の隣に座ったのは明らかなインド人だった。座るや否や彼はテレビが見にくいことの文句を英語で言ってきた(ヒンディー語でないだけましか)。自分は話が膨らむと困るので(会話能力が低いため)ほほ笑みでかえす。しかし彼は私に興味をもったらしくいろいろ質問してきた。私が聞き取れない時は機内食のメニューとペンを差し出した。「ソーリー」。「It's O.K.」と、彼。年を聞くと(注:年しか聞けないのではない)17歳だった。髭のせいか年上だと思っていた。彼はこの語学力で一人でインドに行く俺に同情したのか電話番号を教えてくれた。そして、現在の観光客がどんな手口でだまされるかをいろいろ教えてくれた。ただ、平和ボケした自分にはそんなことはごく一部の人の事だと思っていた…。その後彼はテレビが見える位置に移動し、僕は一人になった。そして窓の外が真っ暗なのに気づき僕はおびえた。「来るんじゃなかったかも…。」

デリー空港についた時、さっきから目をつけていた外人とペラペラしゃべる日本人に思い切って声をかけた。彼は仙台出身のプログラマーで今年からインド勤務。日本に帰省していたらしい。友人が車で来ているので宿街まで送ってくれるという。頼もしい。と、思ったのもつかの間空港内ではぐれる。そこで、もう一人目をつけていた日本の若者(実は26才公務員)に声をかけ、宿無し同士頑張ろう!ということになる。いーんです。どーせ俺はこうやって生きていきます。ハイエナです。また、某国立大の大学院生2人も同じ境遇にあったので僕らは4人になった。時刻は21時少し前だった。

デリー空港を出ると、そこは深夜の歓楽街(行かないけど)よりひどかった。日本の客引きなんて甘い。いろんなとこから手が出る。「そのバスは違う」、「こっちが安い」。警察の前でも平気で嘘を言う。すっごい強引。そうしてたら日本人が「そのバスはやばい。いい人を紹介する。」と、言って来た。旅行本に日本人がグルなっているところもある、って書いてあったのでパス。結局バスに乗る。すると、「今の時間(21:30)は宿は閉まっている。危ない。」と、親切そうな人に降ろされタクシーを20Rs(50円)で交渉してくれた。自分はそこらに進行方向を妨げる向きに寝ている人を踏みそうになってびびった。そして変なオフィスにつれてかれる。もう、一人25ドルの高い宿しか空いていないとのこと。また、200ドルで3泊分の宿、交通(列車等)、を手配してやるという。すごく迷ったが(紙面では表現できないいろいろなことがあった)頼み宿へ。

もちろん宿についた後は運転手が部屋まで入ってきて、「20Rsはオフィスまでの値段だ。ホテルまでは250Rs払え」と怒っている。だんだん値段は下がってきた。が、らちが明かないのでさっきのオフィスで全部で20Rsということを聞いていてもらっていたから電話して宿から追っ払ってもらう。疲れた。そして何気なくテレビをつけると日本対ブラジルがやっていた。とてもシンプルな解説。日本テレビの誰かさんにも見てもらいたかった。そして、人間不信に陥った自分はすやすや眠った。


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2日目へ


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